11/25/2006

よみがえる昭和時代

相続について

別に宗教の話をしたいわけではありませんが、私たちの仕事の中で不動産登記の一部門で相続の登記というのがあります。

現在の日本では、相続は死亡により発生するとされています。権利の主体である人が死亡することによってその人のもっていた権利義務のすべてが、当然に相続人に移転するという法律効果が発生します。

その権利の移転の結果を登記簿に掲載する行為が相続登記という仕事になります。

そして、その事実を調査するために、被相続人の出生にさかのぼる戸籍謄本や除籍謄本や改製原戸籍などを読みますので、戸籍謄本等に接する機会が、通常の人に比べて何千倍も多いことになります。その意味では、登記という仕事に付随する補助的な仕事ながら、戸籍謄本等の解読力はほとんどプロ並みの能力を有していると自負しているところであります。

古い戸籍謄本等を見たことのある方はお分かりになると思いますが、一種の古文書のようなもので戸主とか家督相続とか今ではまったく使われなくなった言葉が、それこそ星のようにちりばめられています。おまけに昔は戸籍謄本はカラスペンや筆を使って記入されていましたので、あまりにも達筆で字が読めないということも発生します。その古文書のような戸籍の中に、人間の生き死にに関する重要な情報が記載されているわけです。

例えば、「樺太で出生した」、とか「戦闘により死亡」などという記述です。現在の日本国においては国民が戦闘により死亡するというようなことは皆無ですが、昔の戸籍謄本にはよく出てくる言葉です。また、満10歳程度になるまで、子供の生存している確率が現在に比べてぐんと低く、例えば子供の5人のうち1人や2人は10才の誕生日を迎えずに亡くなっていることもよくあります。このような記述を見ると現代の日本は、ずいぶん進歩したように見受けられます。そしてそのことに感謝しなければいけないと思うのです。

相続登記に付随した業務で、戸籍謄本の解読作業を行うことにより、大日本帝国憲法の時代を肌で感じる又はこれらの戸籍謄本にちりばめられた文字情報が、私たちの心の中に古い昭和時代をまるで生き物のようによみがえらせるのです。何か夢でも見ているかのように、戦前の昭和時代にタイムスリップでもしてしまったかのように錯覚することがあります。時々その感覚があまりにも生々しくって、嫌な気持ちになることがあります。少なくとも現在のわれわれは、戦争や医療の未発達により自らの意志に反して命を失う機会が、昔に比べてぐんと少なくなっていることはありがたいことですが、一方、50年とちょっと程度の平均寿命の中で十分に生き尽くそうとした昔の人たちのように、身の丈にあった幸せという考え方が理解できない時代になりました。平均寿命が78年(男性)という中では、身の丈以上の幸せを追求できるの時間が、十分にあるからです。

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